ジャクソン&パーキンス社は、1872年アメリカで、弁護士チャールズ・H・パーキンスと、彼の義父、A・E・ジャクソンによって始められました。
初期のJ&P社はニューヨーク州ニューアークでイチゴとラズベリーを販売する小さな農場に過ぎませんでした。しかし、10年後の1882年、パーキンスは弁護士業を完全に捨て、バラ育種者からなる国際的なクラブに参加しました。その後彼はアルヴィン・ミラーという育種家を雇い入れ、バラの育種に専念することにしたのです。ミラーは、パーキンスの孫娘の名をつけた「ドロシー パーキンス」という桃色のツルバラの育種に成功。このバラは英国ナショナル・ローズ・ソサエティの最優秀賞を受賞し、J&P社の名前を一躍有名にしました。

1920年には、J&P社の事業は年に25万本のバラを販売する規模にまで成長しました。パーキンスは、引退し、同じ名を授けられた彼の甥、チャーリーが事業を引き継ぎました。

1930年代には、J&P社の優れた育種家ユージーン・バーナーとニコラス博士が、ハイブリッド・ティー(HT)と強健なポリアンサ種の交配に成功し、「フロリバンダ(FL)」と呼ばれるバラの新しい系統を作り出す偉業を成し遂げました。それらのバラが世界博覧会に展示されたのをきっかけに、J&P社は通信販売事業を発展させることになりました。
1960年代には、田舎の小さなラズベリー農場にすぎなかったJ&P社は、年200万冊もの通販カタログを発行するほどの有数のバラ会社に成長していました。
1980年にはJ&P社のバラ育種家ウィリアム・ワリナーの作品である「ラブ」「オーナー」「チェリッシュ」が同時に、世界的にも有名な「アール・アメリカ・ローズ・セレクション(AARS)」に選ばれました。一人の育種家が同年内に3部門全てを制覇するということは、AARS史上、初めてで唯一の快挙でした。

現在、カルフォルニア州ソミスの研究所の、キース・ザリー博士のもとで、毎年50万もの交配種が生まれ、長い時間をかけて試作、選抜が繰り返された結果、わずか25品種がもっとも優れた新品種としてカタログに掲載されて、800万人もの顧客に送られているのです。これは、J&P社を設立し、発展させた多くの優れた人々のバラにかける情熱と夢 - まさしくバラにおける「アメリカン・ドリーム」の実現と言えるでしょう。

アメリカ オレゴン州にあるJ&P本社
創業者
アルバート・E・ジャクソン
 
 
創業者
チャールズ・パーキンス
   
   
権威あるAARS賞3部門を同時に
受賞した時のJ&P社の育種家
ウィリアム・ワリナー(1980年)
 
ラブ
 
オーナー
 
チェリッシュ
アメリカで15セント切手に
採用されたJ&P社のバラについて
語るワリナー(1978年)
 
現在J&P社の研究開発部を率いるキース・ザリー
J&P社バラ生産風景
 
スタンダードローズの生産風景
 
J&P社 苗木の出荷ライン