贅の限りを尽くしたことで有名な妃。フランス王ルイ16世の妃でありマリア テレジアの娘として1755年ウィーンで誕生。14歳のとき、王太子となっていたルイとの結婚。フランス王太子妃マリーアントワネットとなった。しかし、無類の浪費家でギャンブルにふけった結果フランス王室の財政を傾け、フランス国民の反感をかいフランス革命により1793年、彼女は革命裁判で死刑判決を受け、翌年、コンコルド広場において夫の後を追ってギロチン送りに処せられた。
 
18世紀、神聖ローマ帝国を統治した偉大な女帝。1717年、ローマ皇帝カール6世と皇后エリーザベト・クリスティーネの長女として誕生。カール6世に男児ができなかったため、次期後継者として目されることになるが、女子が皇帝になることはできなかったため、帝位にはマリアテレジアの婿であるロートリンゲン公フランツ・シュテファンが就くが実権はマリアテレジアが握っていた。贅の限りを尽くしたことで有名な妃マリーアントワネットの母親でもある。
 
ヴェルサイユ宮殿の庭園にある離宮の一つでフランス王妃マリー・アントワネットが愛した離宮。1760年代ルイ15世の公妾、ポンパドゥール夫人のために建てられたものであるが、宮殿が完成した時には、ポンパドゥール夫人はすでに亡くなっていた。その後ルイ16世により王妃マリー・アントワネットに与えられた。彼女は庭をイギリス式とし、そこに農村に見立てた小集落を作らせた。
 
チャイコフスキーの曲は親しみやすく、クラシック入門として用いられることが大変多い作曲家である。1840年、ロシアのウラル地方で鉱山技師の次男として生まれる。幼少のころから音楽的才能が突出していたが、両親は息子を音楽家にする意志はなく、10歳で法律学校に入学させた。19歳で法務省に入省する。しかし、音楽が忘れられず、 1861年、アントン・ルービンシュタインが設立した音楽学校に入学。 1863年、法務省の職を辞して音楽に専念。ピアノ協奏曲第一番、 バレエ「白鳥の湖」、眠れる森の美女、クルミ割り人形など非常に有名な曲を作り出している。
フランスの造園家。ベルサイユ宮殿の庭園などを設計し、フランス式庭園の様式を完成させた。べルサイユ宮殿は、ルイ14世が、建造した宮殿である。そのため、フランス絶対王政の象徴的建造物ともいわれる。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。
 
19世紀のフランスの画家。ロートレックは、10代の時に両脚を骨折したために脚の発育が停止し、成人した時の身長は150cm程であった。脚が悪かったため差別を受けていたためか夜の世界の女たちに共感。パリの「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」をはじめとしたダンスホール、酒場などに入り浸り、彼女らを愛情を込めて描いた。彼のポスターやリトグラフは日本の絵画から強い影響を受けている。
 
ルネサンス期フランスの詩人。ロンサールは、貴族の家で末っ子として生まれた。彼は幼年期には家庭で教育を受けたが、12歳の時にパリの学校へ通い始めた。その後、王族や枢機卿に仕えたが、突然の難聴に見舞われたことにより、仕事の中断を余儀なくされた。そこで彼は、学問に生涯を捧げることを決意し、オード四部集(1550年)、 1552年には、恋愛詩集と同時にオード第五部が出版された。これらの作品集は、フランス文学界に真の論争を巻き起こすほどの話題となった。
 
ドイツのルネサンス期の画家。デューラーは、1471年にニュルンブルグで産まれる。はじめ父のもとで金銀細工師となる修業をするが、後に画家を志す。1498年に木版画集「黙示録」にて成功をおさめ大画家としての名声を得ている。デューラーの木版画作品「サイ」は友人から伝え聞いた情報によって描かれたもので、デューラー自身はサイを目にしないで描かれたものである。
 
19世紀のイタリアのバイオリニストである。パガニーニはバイオリンの鬼神と呼ばれ、当時はそのバイオリン演奏のあまりの上手さに、あの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだと噂されたという。パガニーニの使用したバイオリンは遺言で「他人に譲渡、貸与、演奏をしない」ことを条件に故郷ジェノヴァ市に寄贈されたが、この遺言は当初は守られたが修理作業を経て、現在にいたるまでパガニーニの遺言を無視する形で貸与と演奏がされている。
 
元北アイルランド代表サッカー選手。ポジションはフォワード。マンチェスター・ユナイテッドの伝説的ドリブラー。北アイルランドの貧しい労働者階級の家庭に生まれ、15歳でマンチェスター・ユナイテッドの下部組織に入団し17歳でトップチームデビューする。キーパーまで抜き去ってしまうドリブル、絶妙のループ・シュートなど、すばらしい技術を持っていた。また、愛らしい笑顔で女性にも大変人気があり、テレビにも引っ張りだこになるなど、英国においてアイドル的存在で、彼を歌った曲まで発売された。